「サンレモ音楽祭について ①」

来年のサンレモ音楽祭の芸術監督兼司会者にAmadeusが就任したのは既報ですね。TVの司会者としてキャリアがある彼は、歴史ある音楽祭に少しばかりオリジナリティを添えたいと考えているようです。先日のFanpage.itの記事によると、サンレモ音楽祭実行委員会が出演者を選考に関わるのは若者部門のみ、いわゆるベテラン歌手が競う本命Bigのレースの出場者はAmadeusが一人で決めるということです。ここ数年のサンレモ音楽祭はリベラル系政治色が強く、Bigレースでも1位には政治的メッセージ性が強い曲が選ばれることが多いように感じます。ラジオDJからキャリアが始まり1980年代にはディスクジョッキーとしても活躍したAmadeusがどのようにサンレモ音楽祭を変えるのかちょっと楽しみですね。2020年2月4日~8日はイタリアのTVも新聞もサンレモ音楽祭のニュースで溢れるでしょう。

現在のサンレモ音楽祭はイタリア中が熱狂する大イベントです。第1回サンレモ音楽祭は1951年に催されました。観光客が少なくなる、イタリア語でいうところのいわゆる“死の季節stagione mortaに何とか観光の目玉を作り旅行客を集めたいとリグーレ市の肝いりで始められた企画祭でした。ところで第1回の音楽祭が市内のカジノで行われたのは企画段階から公共カジノの支配人が関わっていたからです。そして出場者はたった3人、Nilla Pizzi、Duo Fasano、Achille Toglianiで、今とは正反対にマスコミからいたって冷たく扱われたのでした。因みに優勝者はNilla Pizziの “Grazie dei fiori(花をありがとう)”でした。

今後このコラムでサンレモ音楽祭史関係を不定期に取り上げる予定です。よろしくお願いいたします。